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三鷹ストーカー殺人事件

      2016/03/29

三鷹ストーカー殺人事件が起きた当初は、被害者のことを
ストーカー化した元交際相手に殺害された悲劇の女子高生と報道を通じて
世間は認識したが、その後、元交際相手である加害者が被害者と交際中に
撮影したと思われる性的な画像や動画をインターネット上にアップロード
していることがわかると、一部の人間からは心無い声が挙がったという。
その声の大半は、そのような画像や動画を撮影させたり、送ったりした
被害者側にも落ち度があるというものらしいが、よく冷静になって考えて欲しい。
まず、十代の精神的にも幼い女性にそのような行為が、後にどのような事態を
招く可能性があるかなど深く考えられる訳もなく、“恋は盲目”という言葉が
あるように「将来はこの人と一緒になる」くらいまで、もし考えていたのなら
愛情の証として、そのような画像や動画を撮らせてしまったり、送ってしまったことだって考えられるだろう。

それに、そのような心無き声を挙げた人間の主張というのは、
レイプや痴漢の被害を受けた人間に対し、
「ミニスカートを穿いたり、露出の多い服装をしていたのが悪い」、
「夜遅くに1人で出歩くのが悪い」と言っているのと同じだ。
そうした考えは全て“公正世界仮説(Just world hypothesis )”、または
“公正世界信念(the belief in a just world)”
という仮説や信念に基づいているものだ。
この仮説は、自分達の住む世界が、よい人間にはよいことが、
悪い人間には悪いことが起きる公正な世界であるという信念の中、
悪いことが起きた被害者にはその被害を引き起こす何かがあると考えるもの。
つまり世界というのは公正に出来ており、努力した者は報われ、
努力しない者は報われない、因果応報であるということだ。
この考え方には一日一善や喜捨などの善行を促進する反面、被害者にも
何かそれに見合うだけの落ち度や責任があるはずだと粗を探す危険な側面を
はらんでいる。
不幸の合理化を目指して、被害者非難を始めてしまうのだ。
そのいい例が前述した三鷹ストーカー殺人事件ではないだろうか。
これは本当に恐ろしい傾向であり、時に間違っていることでもある。
実際は三鷹ストーカー殺人事件の被害者を非難している人間達も気付いているはずだ。
この世界は自分達が思っている以上に理不尽、不条理なことばかりが
起きていると。
「いや、そんなことはない。世界はいつだって公正に出来ている」
と反論する人がもしいるのなら、では、その仮説で9,11同時多発テロや
東日本大震災、セウォル号沈没事故などの数多くの悲劇を
どう説明出来るのだろうか。